その時、体は動かない
避難しなかった人の多くは、
危険を知らなかったのではありません。
知っていたのに、動けなかったのです。
このアーカイブの他のページは、すべて「知識を増やす」ものです。
けれど——知識だけでは、人は逃げません。
ここでは、その理由と、それを破るたった一つの方法をお伝えします。
1. その言葉、あなたも言いそうですか
災害のとき、実際によく口にされる言葉を並べました。 「言いそうだな」と思ったものを開いてみてください。 その裏で、どんな心の働きが起きているかが書いてあります。
「うちは今まで大丈夫だったから」
過去に無事だった経験は、いちばん強い安心材料になります。毎回いちいち怖がっていたら日常生活が成り立たないので、脳は「たいしたことない」と判断する方向にできています。
災害は「これまでの最大」を更新するから災害になります。過去に浸水しなかったことは、今回浸水しない理由になりません。
「近所の誰も逃げていないし」
判断に迷ったとき、人は周りの人を見て正解を探します。これは社会生活では非常に役に立つ能力です。
周りの人も、あなたを見て「まだ大丈夫」と判断しています。お互いが相手を安心材料にして、全員が動かないまま時間が過ぎます。
「もう少し様子を見てから」
避難は面倒で、空振りだと気まずい。「もう少し」と言えば、決断を先に延ばせます。
様子を見ている間に、道路が冠水し、暗くなり、避難できる条件が失われます。避難とは「危なくなってから動く」ことではなく、「危なくなる前に動く」ことです。
「空振りだったら恥ずかしい」
大げさな人だと思われたくない、という気持ちは自然なものです。
空振りは成功です。「今回も何もなくてよかったね」で終わるのが、避難のいちばん良い結果。訓練になったと考えてください。
「車で逃げれば大丈夫」
車は速くて安全な乗り物、という日常の感覚がそのまま働きます。
水深50cmでドアが開かなくなり、エンジンも止まります。また、同じことを考えた人で道路が渋滞し、車の中で動けなくなります。
「家族を探してから逃げる」
最も自然な感情です。責められることではありません。
戻ったために共倒れになる例が、繰り返し起きています。だからこそ「お互いに必ず逃げる」と約束しておくことが、家族を守る方法になります(後述の「津波てんでんこ」)。
「(何も言えない・体が動かない)」
本当に危険だと理解した瞬間、かえって固まってしまうことがあります。意志の弱さではなく、生き物としての反応です。
この状態から人を動かすのは、情報ではなく具体的な指示です。「危ないよ」ではなく「一緒に行こう、こっち」と言うこと。
「避難所より家の方が安全でしょう」
在宅避難は、条件が合えば正しい選択です。
ただしハザードマップで自宅が安全だと確認できている場合に限ります。「なんとなく家の方が安心」は、確認とは違います。自宅の色を調べるのが先です。
いくつ当てはまりましたか。ひとつも当てはまらなかった人は、まずいません。 これが「知識があっても逃げられない」ということの中身です。
2. 警報を聞いてから、動けなくなるまで
避難しなかった人の頭の中では、たいてい次の順番で物事が進みます。
警報が出た。防災無線が鳴った。スマホが震えた。この時点では、まだ何も考えていません。
窓の外を見る。近所の様子をうかがう。SNSを開く。人は情報を受け取ると、まず「本当か」を確かめようとします。
ここが分かれ道です。「まだ雨は強くない」「川はまだ低い」「誰も動いていない」——脳は、動かなくてよい理由を集めはじめます。危険を探すのではなく、安心を探してしまう。
理由が見つかると、人は落ち着きます。この「落ち着き」がいちばん危ない状態です。本人は冷静に判断したつもりでいます。
水が来る、崖が鳴る。ここで初めて動こうとしますが、外はもう危険で、暗く、道は水に沈んでいます。あるいは、固まって動けなくなります。
危険なのは「慌てている状態」ではなく、「落ち着いて、動かないと決めた状態」です。
本人は冷静に判断したつもりでいるので、誰かに言われないと気づけません。
3. 働いているのは、この3つ
「たいしたことない」と考える働き。 これが無いと、人は毎日の小さな異変すべてに反応してしまい、生活できません。 ふだんは私たちを助けている機能が、災害のときだけ牙をむきます。
「周りに合わせる」働き。 迷ったとき、人は他人の行動を正解として参照します。 ところが災害時は全員が互いを参照しているため、誰も動かない状態で安定してしまいます。 この膠着を破れるのは、参照される側に回った人だけです。
本当の危険を前にすると、かえって固まる働き。 意志の強さとは関係ありません。この状態の人に必要なのは情報ではなく、 具体的な指示と、手を引く相手です。
4. これを破る、たった一つの方法
全員が互いの顔色をうかがって動けない——この状態を壊せるのは、 先に動き出す1人です。これを率先避難者と呼びます。
※ 動きのイメージです。実際の避難率を表すものではありません。
危険を伝えるだけでは、相手は「本当かな」と確かめはじめます(=段階3に入る)。 自分が動いて見せること、そして行き先を具体的に示すこと。 この2つが、固まった人を動かします。
5. 「津波てんでんこ」の本当の意味
三陸地方に伝わる言葉で、「てんでんばらばらに、各自で逃げろ」という意味です。 冷たい言葉に聞こえるかもしれません。けれど、この言葉の本質は逆のところにあります。
家族を探しに戻って、共倒れになる——これが繰り返されてきました。
だから「お互いに、必ず逃げる」と約束しておく。
そうすれば、探しに戻らなくて済みます。
相手を信じられるからこそ、自分の足で逃げられる。
これは家族の絆を前提にした言葉です。
つまり、この約束は災害が起きる前にしかできません。 今日、家族に一言伝えておいてください。——「何かあったら、それぞれ逃げよう。必ず逃げるから」
- 逃げないのは、愚かだからではない。脳がそうできている。自分もそうなる
- 危ないのは「落ち着いて動かないと決めた」瞬間。本人は気づけない
- 「逃げるよ」と声に出す。1人が動けば、周りは動く
- 「危ない」より「一緒に行こう、こっち」。具体的に、行き先を示す
- 家族と「必ず逃げる」と約束しておく。今日、言葉にしておく
参考: 内閣府「防災白書」ほか、災害時の避難行動に関する一般的な知見。 「正常性バイアス」「同調性バイアス」「率先避難者」「津波てんでんこ」は、 防災教育で広く用いられている考え方です。 本ページは特定の災害や個人の行動を批評するものではありません。